院長はどんな人②?
歯医者って実は専門性に溢れているんです。 今回は、まずはその切り口からいきましょう。
院長の専門は保存学。
歯科も多岐に渡ります。
その中でも保存修復学で博士を取得。博士になるには大学卒業後、大学院に行き試験と博士論文を書かなくてななりません。
当時は、論文を書くのがとっても苦痛でした。書くためには過去の様々な論文も読む必要があり、歯科大学を卒業したで勉強よりも部活中心だった 私には毎日が大変。でも、今となってはその経験がエビデンスに基づいた思考と常に論文が書くような理論に沿った治療を心掛けることが出来ます。学会や所属する勉強会で発表する機会は、常に人に見られるって意識のもと治療を行うことを身につけました。
大学院時代は国立感染症研究所で虫歯菌の研究をしました。保存学、つまり歯を保存することを妨げる因子の追求が私のテーマ。
虫歯は感染症ですので感染症研究所に所属したことはターニングポイント。指導していただいた花田先生と野村先生から大きな影響を受けました。予防歯科に対する概念はここがルーツです。そして、一通のメールがもう一つのターニングポイント。予防歯科をかじれば知る故ブラッタール先生より留学のお誘い。残念ながら所属している大学の規定でスウェーデン行きはかないませんでしたが留学願望が大きくなりました。
最初に留学願望が芽生えたのは、アメリカの学会発表後に見学したUCLAを訪れたとき。碧い空、広大なキャンパス! こんな環境で学びたい。いつか戻って来たいと思い15年後に実現しました。
初めてのUCLA紀行
それまでの15年は予防歯科と保存の概念だけでがむしゃらに歯科診療に従事しました。船橋で開業、法人の開設。あっという間でしたが壁って次から次にあるんですよね。多岐にわたる臨床は予防と保存だけでは歯科の時流にどんどん取り残されていく危機感と留学 願望が燻って来たある時、双方を満たすUSCジャパンプログラムを知りました。最終的にはロスのUSCで卒業式まで 行う一年間。
USCでの発表風景。学会より緊張しました。
素晴らしい同期と教授陣に学びの欲求は爆発。4年間は様々な勉強会のコースにも参加しました。得られた人脈からUCLAにも見学生として参加することもできました。
15年経っても変わってませんでした。しかし、翌年に取り壊されていました。
約5年間で様々な専門性を学んだことで治療の選択肢が格段に増え、包括的な歯科診療を求めるようになりました。これらが今の私を支えています。